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田中好子と巡る旅

田中好子を巡る旅⑥

田中好子を巡る旅
これまであまり紹介してこなかった“好子さんと場所との関わり”を少しずつではありますがご紹介していくコーナーです。
ちょっと間があいてしまいましたが、久しぶりに掲載いたします。


第6回目は<韓国・ソウル>です。
好子さんが好きで何度も訪れたことのある外国、オーストラリアの次はなんといっても韓国ではないでしょうか。もともとは、仲のよい韓国好きのメイクさんに誘われ、最初に韓国・ソウルを訪れたのは7年前の2006年春。「ちゅらさん」ですっかり母娘のようになっていた国仲涼子さんも一緒の旅でした。

実は好子さん、韓国ではほとんど観光らしい観光はしていなかったのです。
唯一、観光らしいことといえば、ソウルNタワーに登ったことぐらいでしょうか。韓流ドラマもほとんど見たことはなかったそうですし、韓国のスターで名前がわかったのはヨン様ぐらいだったとか。
では、一体何をしに好子さんはソウルを訪れていたか?・・・というと、それは、なんと!韓国グルメ。
グルメな旅といっても毎回いろんなおいしいお店を探し出すというよりは、好子さんには気に入ったお店が数軒あって、だいたい二泊三日の日程でほぼ毎回同じ所に行っていたそうです。
トーク番組等で韓国の話をした際には、「そのお店を教えてください!」といったお問い合わせをいただいておりましたので、今回はジャーン!その好子さんお気に入りのお店・ベスト3をご紹介しようと思います。

第三位・・・プロカンジャンケジャン 
新沙という駅の近くに通称 プロカンジャンケジャン通りという所があります。その中の一軒、その名も“プロカンジャンケジャン”。好子さんが好きなメニューは、カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油ダレ漬け)とメウンケジャン(ワタリガニの唐辛子味噌漬け)。
最近は、店内もリニューアルしてとってもきれいになっています。また情報では、東京・赤坂や大阪・北新地にもここのお店ができているそうです。

{お店データ}
 プロカンジャンケジャン(프로간장게장)
ソウル市 瑞草区蚕院洞 27-1 プロビル 1、2階
   (서울시 서초구 잠원동 27-1 프로빌딩 1,2층)
    電話 02-543-4126

第二位・・・コムタンスープ屋さん 
鐘路3街にあるコムタンスープの専門店。看板はすべてハングルですが、迎春屋(ヨンチュンオク)という名前だとか。基本的に日本語は通じませんが最近は日本語メニューもあるという情報です。いつも、ここのコリコムタンか、コムタンを頼んでいました。このお店を気に入っている理由のひとつに、コムタンだけでなくここの白菜キムチが絶品なんです。コムタンスープがくる前にキムチのおかわりを頼む程。

{お店データ}
 迎春屋 (영춘옥)
ソウル市 鍾路区敦義洞131
   (서울특별시 종로구 돈의동131)
    電話 02-765-4237

第一位・・・蔘鶏湯屋さん 
ここが一番行くための難易度が高いかもしれません。日本語まったく通じません。しかも、正確にいえばこのお店、ソウル市内ではないのです。京畿道コヤン市という所にある蔘鶏湯と鴨焼きのお店です。どちらかというと金浦空港から近い場所にあるので、韓国に到着した日に空港から直接、もしくは帰国する日の空港へ行く前に立ち寄るパターンで行っていました。しかも、好子さんはここの蔘鶏湯が大のお気に入り。二泊三日の旅で空港の往きと帰り二回行ったことがあるくらい。

今はこんな立派なお店に

{お店データ}
  (기 풍오리)
京畿道高陽市徳陽区デジャンドン498-49
    (경기도 고양시 덕양구 대장동 498-49 )
     電話 031-970-0024

東京からなら沖縄・那覇よりも近いソウル。みなさんもソウルへご旅行に行かれる機会がありましたら、好子さんの好きだったグルメ旅を実践してみてはいかがでしょうか?

田中好子を巡る旅⑤

田中好子を巡る旅
これまであまり紹介してこなかった“好子さんと場所との関わり”を少しずつではありますがご紹介していくコーナーです。
およそ月1回更新を目指して頑張ります。


第5回目は<角館 ~田沢湖周辺>です。
平成16年の夏、CBC制作のスペシャルドラマ「銀河鉄道に乗って」の撮影で訪れたのは秋田県の角館と田沢湖の周辺。
撮影は主に“たざわこ芸術村”や田沢湖周辺で行われていましたが、主演の好子さんや出演者は二週間近くの間、そこから程近い角館で滞在していました。

このドラマ、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をミュージカル化した作品を上演していた“わらび座”という実在の劇団を舞台にした市川森一さんオリジナル脚本のドラマ。
物語は、昔はこの劇団の看板女優で、「銀河鉄道の夜」主役のジョバンニ役もやっていた女がふらりと帰ってくるところから始まります。この女には残していった娘がおり、今は母同様主役のジョバンニ役をこの劇団でやっているその娘役を宮本真希さん、そして昔からの劇団仲間に、平田満さん、小野武彦さん、鷲尾真知子さん、でんでんさんなどが出演されておりました。
わらび劇場の前で
わらび劇場全景

実際の舞台出演者に、役の俳優さんたちがところどころ混じっての撮影。好子さんもちょこっとさわりだけ昔やったジョバンニ役などを演じるシーンがあったりして、このわらび劇場の舞台の上に立ちました。
昔の役を演じるシーン

舞台だけでなく、実際の楽屋や稽古場、劇場の通路や楽屋口、そして本当の劇団員の方たちが生活する宿舎など、毎日いろんなところをお借りしての撮影でした。

秋田内陸縦貫鉄道の小さな駅でも撮影が行われました
田沢湖で地元のテレビ局のインタビューを受ける好子さん

角館の武家屋敷

毎日のように角館のホテルから撮影をしていた、たざわこ芸術村まで通っていたわけですが、好子さんの角館のお楽しみは・・・温泉。温泉といってもホテルには温泉施設は併設されていなかったので、毎日朝夕、時には一日三回もホテルから程近いパブリックの“かくのだて温泉”に回数券まで買って通っていました。二週間弱の滞在で、一回500円の温泉代をマネージャーと二人でナント!二万円近くも使ったそうです。

かくのだて温泉
また、一日だけあったお休みには足をのばして“乳頭温泉郷”へ。そこで七か所ある温泉のうち、三か所に入ったとか。

撮影の合間にはホテルで画も描いています。2005年のカレンダーに登場した「ハタハタ」、「なまはげ」などはその時の作品。ホテル横のお土産物屋さんには今でも当時好子さんが左手で書いた貴重なサインが飾られていました。
左手で書いた貴重なサイン

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田中好子をめぐる旅④

田中好子を巡る旅
これまであまり紹介してこなかった“好子さんと場所との関わり”を少しずつではありますがご紹介していくコーナーです。
およそ月1回更新を目指して頑張ります。

第4回目は<八塔寺ふるさと村 >の PartⅠです。
この夏は久しぶりに多くの場所で映画「黒い雨」の上映が行われたのではないでしょうか。
この物語の舞台となるのは、原爆投下直後、黒い雨が降った広島なのですが、撮影が行われた昭和63年ですら広島には昭和20年代を再現できるような撮影場所がみつからなかったと聞きます。
そこで白羽の矢が立ったのが、広島のお隣、岡山県にある“八塔寺ふるさと村”でした。

東京からは新幹線で相生駅まで行き、そこから山陽本線に乗り換えて吉永へ。吉永駅から車で山道をクネクネ登ること約30分。そんな所に八塔寺ふるさと村はあります。
メインセットとなる主人公・矢須子の住む叔父の家・閑間(しずま)家は、撮影後に内装が施され、今は国際交流ヴィラとして利用されているようですが、「黒い雨」撮影のために茅葺屋根のあるこの家ごと今の場所に移築されたそうです。
「週刊朝日」の取材のために村の写真を撮る好子さん

映画「黒い雨」が撮影されたのは、昭和63年の6月~9月と11月の数日。
美術スタッフは前年秋から八塔寺ふるさと村に赴き、稲刈りが終わった田んぼに麦を蒔き、電柱を引っこ抜いたり(?)、舗装された道路に土をバラ撒いて昭和20年の田舎の風景をよりリアルに作り出しました。
そうやって昭和20年代の広島の小さな村が再現されていったのでした。

好子さんが訪れたのは、昭和63年6月。村は一面黄金色に輝く麦畑、そんな中で撮影は始まりました。
当時、村には13軒ほどのお宅があり、人口は50人弱。2軒の民宿と軽食が食べられるような店が2軒、そして郵便局が一つあるだけでした。
2軒の民宿には、女性俳優陣と男性俳優陣に分かれて宿泊。スタッフは村の空き家などに各部ごとに分宿。ガス、水道、電気もない家もありました。
そんな山あいの静かな村も夜になると一変。田んぼでカエルが大合唱し始めるのです。
約100日間、好子さんはこの村で過ごしながら映画の撮影に臨みました。

カラーで観るとこんなにきれいな色の木炭バス
この村へ来て好子さんが最初に買ったのは、長靴とモンペと農作業の時などに被る帽子。日が経つにつれ、段々とこのスタイルが村での活動服になってゆき、村にも馴染んでゆきました。

撮影は、シーンや日にもよりますが、だいたい朝9時くらいからで午後2時くらいには終わってしまいます。その後、扮装、メイクをした状態で次の日のシーンのリハーサル。
村の中でのシーンでは、だいたいこういったパターンで撮影が行われていました。

村にはコンビニはもちろん、いわゆるお店屋さん的なものがありませんから、ほしいものがある時はその日の朝に製作部の人に、買ってきてほしいものを書いたメモとともにお金を託けます。そうすると、それが夕方届くといった具合です。
テレビドラマのように一日何十シーンと撮ったりしないので時間だけは結構たっぷりあるのですが、とにかくこれといってやることがない。ということで、ほとんど毎日のように手紙やはがきを書いては、それを村で唯一とも言える郵便局に、歩いてわざわざ持ってゆくのが日課になってゆきました。
また、市原悦子さんら女優の諸先輩の皆さんご指導の下、プチお裁縫教室やお茶会?なども時折、催されていました。
もしも、この頃すでに墨彩画の趣味があったなら、きっと多くの画を描いていたかもしれませんね。
(パートⅡにつづく・・・予定)

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田中好子を巡る旅③

田中好子を巡る旅
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第3回目は<早稲田~護国寺界隈>です。
早稲田といえば、早稲田大学。早稲田大学に関係する映画といえば「0からの風」と「夢追いかけて」の2作品です。
「0からの風」は、早稲田大学に入学したばかりの息子が悪質な飲酒運転により命を絶たれ、その母親が法改正をするばかりか、自らも早稲田大学の入学を果たすという実話に基づく物語。
もちろん大学のシーンはすべて早稲田大学で撮影と言いたいところですが、実は大学構内のシーンのほとんどは大阪・関西大学構内で撮影されています。というのも、映画「0からの風」の撮影自体をほとんど大阪をベースに撮影していたからで、最後の最後にだけ東京へ戻っての撮影となりました。
ということで、好子さんの東京での撮影は一日だけ。
高田馬場駅前から早稲田に向かうシーンと早稲田正門を入っていくシーンがそれにあたります。
早稲田正門で好子さんはクランク・アップを迎え、花束と拍手に送られて好子さんの登場シーンは全編終了となったわけですが、衣装から自前に着替えを追え、好子さんが出ていない次のシーンの撮影準備を待つ塩屋監督と雑談をしていたところ、突然好子さんが「監督、私もエキストラで出してくださいよ」と言い出しました。
監督も「それじゃ、出ていただきましょうか」ということになり、田口トモロヲさんらが映る場面の中でエキストラとして後姿で歩いていくシーンができたのです。
事情を聞かされていないスタッフの多くが???と思っている中、好子さんはいたずらっ子っぽい顔をしながらエキストラ出演を楽しんでいました。

映画「夢追いかけて」の主人公・河合純一選手も早稲田大学に入学し、在学中のパラリンピックで金メダルを獲得します。
早稲田から程近い護国寺界隈、護国寺駅前では、浜松・舞阪から筑波大学附属盲学校への入学を果たした全盲の息子を心配するシーンや実際の盲学校の校門で撮影が行われました。
有楽町線・護国寺駅出口でのロケ
盲学校近くでのロケ


ちょうど早稲田から護国寺の間あたりに位置する椿山荘。
1984年の5月にここで行われた三日間だけのミュージカル「JD」に好子さんが出演したことは、あまりご存知の方はいらっしゃらないかもしれないですね。
JDとは、ジェームス・ディーンのことで、好子さんはその恋人役・ピア・アンジェリの役。
ピア・アンジェリに扮した好子さん
ジェームス・ディーン役の田中健さんの他、島田歌穂さんや現在は人気演出家となられた宮本亜門さんなども出演されていました。


最後にもう一ヶ所だけ。
それは、早稲田松竹。映画「0からの風」を封切っていただいた映画館です。
早稲田松竹外観
普段は封切館ではありませんが、この映画の社会的な重要性をご考慮いただき、松竹で特別に封切をしていただいた映画館です。
もちろん、初日舞台挨拶もやらせていただき、好子さんの舞台挨拶を見るために朝3時から並んでくださった熱心なファンの方もいらっしゃいました。
そんなご縁で、今回8月27日(土)~9月2日(金)田中好子追悼映画特集として好子さんの代表作でもある「黒い雨」と「鏡の女たち」を特別上映してくださいます。
どうか皆様、好子さんの魂を込めたニ作品を観にお越しください。

尚、期間中は劇場内で「田中好子メモリアルブック」(マガジンハウスより8/25発売)を限定100部のみ販売していただく他、「黒い雨」、「鏡の女たち」二作品の撮影現場での写真やスチール写真の展示も予定しています。


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田中好子を巡る旅②

田中好子を巡る旅
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第2回目は<福岡>です。
大都市には数多く行っているのは当たり前といえば当たり前ですが、東京、大阪、名古屋、京都に次いで多く行っているとしたら福岡だったと思います。
歌手時代もコンサートなどで行ってはいると思いますが、なにせ当時は観光などできるはずもなく、地元のおいしいものでさえ食べたりできたかどうか。そういう意味では、女優になってからの方がロケ等で泊まる機会も多かったですし、地元の味に舌鼓なんてことはできたのではないでしょうか。

福岡にご縁が多くなった最大の要因は、なんといってもFBS福岡放送。
地方局ながら好子さん主演の火曜サスペンス劇場4作品(「あのひとの髪」、「あのひとの匂い」、「料理講師 奥瀬かおり」シリーズ)を作っていただきましたし、地元ドラマ2本(「瞳スーパーデラックス」、「私は一本の木に恋をした」)にも出演させていただきました。
そしてその度、普段はバラエティ番組等にはあまり出演することがなかった好子さんがFBSの看板番組「めんたいワイド」と「ナイトシャッフル」に番組宣伝のため出演。その中で華丸さんや元・ヒップアップの川上泰生さんたちと地元のおいしいお店めぐりなどをしました。

NHK朝ドラの「走らんか!」のロケも福岡でやりましたね。中洲近くの福博であい橋やシーホークホテル&リゾート(現・ヒルトン福岡シーホーク)でのロケや好子さんの役が登場するライブ喫茶のモデルとなった、福岡では伝説の店・照和などにも立ち寄りました。

そんなご縁からか、毎年7月1日~15日に行われている博多山笠の中継にもFBS、NHK両局の放送に一度ずつ出演。7月15日朝4:59に櫛田神社をスタートする勇壮な男たちの祭を放送席から目の当たりにしました。

2001年7月15日


博多座前にあった篤姫の飾り山笠

この7月、好子さんの娘の一人である国仲涼子さんが博多座で初舞台を踏みました。
昨年夏、初舞台ながら「天璋院篤姫」に主演することになったえりぃ(好子さんはいつも国仲さんのことをこう呼んでいました)から「お母さん、のれん作ってもらえませんか?」と頼まれ、今年2月にオーダー。のれんが出来上がってきた時すでに好子さんは旅立たれた後となってしまいましたが、「國仲涼子さんへ  田中好子より」と染め抜かれたのれんが約一ヶ月の間、まるでえりぃを毎日そっと見守るかのように楽屋入口にかかっておりました。もちろん、楽屋の中には写真立てに入った好子さんの写真も。
「ちゅらさん」スタート時は新人だったえりぃも、今や堂々たる主役として客席を沸かせておりました。さすが!好子さんの娘です。

好子さんが国仲涼子さんへ贈った楽屋のれん


先日、国仲さんの舞台を観劇するために福岡へ行った際に、2軒のお店をお訪ねいたしました。
1軒目は、博多座のすぐ脇にある「天下の焼鳥 信秀本店」。
好子さんの髪をカットしてくださっていた美容師さんの出身地が福岡で、この方に紹介されて訪れたのがこのお店。
博多座に近いこともあって多くの芸能人の写真が飾ってありますが、入ってすぐ左側に好子さんが訪れた時の写真も飾ってありました。

2軒目は、祇園にあります真っ赤なのれんの「博多祇園鉄なべ」。
餃子好きな好子さんがFBSのスタッフと二度ほど訪れたのがこの店。
お芝居が大好きな女将さんと赤いのれんの前で2回とも写真を撮らせていただきましたが、その写真も店の二ヶ所に貼ってありました。
好子さんの訃報を聞き、悲しくて悲しくて好子さんの写真の前にずっと果物を供えてくださっていたそうです。

福岡へ行かれた際は、好子さんの笑顔の写真を見がてらお立ち寄りになられてはいかがでしょうか。


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田中好子を巡る旅①

田中好子を巡る旅
これまであまり紹介してこなかった“好子さんと場所との関わり”を少しずつではありますがご紹介していくコーナーです。およそ月1回更新を目指します。

記念すべき第1回目は<渋谷>です。
渋谷といって一番最初に思い浮かぶ場所は、なんといってもNHK。
NHKとは、日本放送協会の略です。
皆さんもよくご存知のとおり、「キャンディーズ」の名付け親は当時「歌謡グランドショー」の担当だったNHKの方だったとか。食べちゃいたいほどかわいい、というのがその名前の由来だそうですが、まさにキャンディーズが誕生したのもNHKといっても過言ではないのです。
ただし、当時のNHKのホールは現在の渋谷ではなく、新橋ちかくの田村町というところにあったそうです。
現在の渋谷に移ってからも紅白歌合戦やレッツゴーヤングでNHKホールのステージに立っていますね。
また、女優になってからも好子さんはNHKのドラマに数多く出演しています。
NHKを代表する二枠、朝ドラ(朝の連続テレビ小説)は5作品、大河ドラマにも3作品出演しています。
この8作品を即座に言える人は、かなりのツウですね。
その他にも、「ふたつの愛」や「華岡青洲の妻」など好子さんの代表作ともいえる作品もNHKの制作です。
そして、好子さん出演の最後の作品となってしまいました「てのひらのメモ」もNHKの作品。
また、好子さん唯一の趣味となった墨彩画をはじめるキッカケもNHKの「趣味悠々」。
なんだかNHKにはずっとお世話になっていたような感じですね。


渋谷でもう一つ欠かせない場所が、渋谷ビデオスタジオ。
老朽化のためか!?惜しくも最近取り壊されてしまいましたが、ここでは二時間ドラマやフジテレビの連続ドラマ「親戚たち」、「神様、もう少しだけ」、「ビーチボーイズ」などのドラマを収録していました。
民放の連ドラは、それはもう朝から晩?(深夜から早朝になることも)まで撮影をすることがよくありましたからハードな日々だったと思います。
今はすっかり取り壊されてしまった渋谷ビデオスタジオ跡地


プライベートでも、昔は好子さんの好きなブランドがパルコに入っていたため、よく買い物にも行かれていました。

渋谷に行かれた機会には、好子さんの思い出がたくさん詰まったNHK~渋谷ビデオスタジオ跡~パルコなどの辺りを散策されてみてはいかがでしょうか。
尚、NHKには一般向けに見学コースがあって、朝ドラや大河ドラマを収録していたスタジオをスタジオの上に設けられたガラス窓から垣間見ることができたと思いますが、残念ながら現在は地震の影響で改装工事中。10月以降にリニューアルオープンの予定。


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